Pukuta

※パラレル注意

 

 

執事の朝は忙しい。
 おれの仕える屋敷は慢性的に人手が足りないから、どうしてもよその執事より仕事が多くなる。
 太陽より先に起きて、裏庭にある農園に水を撒いて食べれそうな野菜を収穫、坊ちゃんのニワトリの世話をしてからトリたちの目を盗んで卵を拾う。
 今日食べる分の野菜と卵を厨房に届けて、昨日の坊ちゃんの様子や、採れた野菜などから1日の献立をシェフと打ち合わせる。


 今朝の打ち合わせがいつもより長くなったのは、今日が我らがグラハム坊ちゃんの誕生日だからだ。
 貴族の、しかも跡取りの誕生日といえば、貴族や近隣の人々を招いた大々的なパーティを開くもんだ。
 だが、今年は旦那様と奥様の帰国日に合わせたから、パーティは少し遅れて開かれることになった。
 でもだからって、誕生日当日に何もしないってのは寂しいだろう。
 だから今夜は、坊ちゃんの好物ばかりを集めた、ささやかなパーティを開く予定なんだ。
 おれも午後から見つからないよう、ケーキ作りに励まねーと。


 打ち合わせが終わったら、メイドに任せている掃除の点検がてら、庭師から受け取った摘みたての花を屋敷中の花瓶に飾っていく。
 この頃になって、やっと陽が昇って辺りが明るくなってくる。
 おれは身だしなみを確認して、目覚めの紅茶をのせたカートを押して坊ちゃんの寝室に向かう。
 重い扉を開け、極力音を立てずにカートと共に薄暗い部屋に入る。
 坊ちゃんの可愛がっている黒猫が、入れ違いに部屋を出て行く。
 床に落ちた枕を拾い、天蓋付ベッドをのぞくと、頭がくるべき場所に足が二本投げ出されていた。
 思わず苦笑が漏れる。
 本日の坊ちゃんもすこぶる元気なようだ。
「坊ちゃん、朝ですよ」
 シーツからのぞくぐしゃぐしゃの金髪に声をかける。
 ふだんの坊ちゃんは寝起きがよくて、扉を開けただけですぐに目を覚ますほどだ。
 ちなみにおれを驚かそうとして、寝たふりをしていることもしょっちゅうだ。
「ん…もう朝か…」
  でも今朝は珍しいことに、声をかけてやっとまぶたをあけた。
「おはよう…ニール」
「おはようございます、坊ちゃん」
 しかもまだ寝たりないように、さかんに目をしょぼつかせている。
「さてはまた夜中にベッドを抜け出して、星を見に行きましたね?」
「まあ…そんなところだ。すぐ戻る予定だったが、いろいろ考えているうちに遅くなったのだ」
「今日で一つ歳をとったというのに、ご自分で体調管理ができなくてどうします」
「そう、そうだ。今日は誕生日だろう。それで色々と考えるところがあってだな」
 いつもより濃いめにいれた紅茶を渡すと、もごもごとなにやら言い訳してる。
 これまた素直で思った事はすぐ口に出す坊ちゃんにしては珍しいことだ。
 その常にない様子に不安になったおれは、膝を折って翡翠色の瞳に目線をあわせた。
「もしや何か悩み事がおありですか? ニールでは、坊ちゃんのお役に立てませんでしょうか?」
 じっと見つめると、坊ちゃんは怒ったように唇を尖らせた。
「では、そうやって私を坊ちゃんと呼ぶのはやめてもらおう」
「それは…っ」
 思ってもみなかった言葉に、おれはその場に倒れこまないように堪えるのに必死だった。
「待てニール、そんな泣きそうな顔をするな。これは解雇通告ではない!」
「あ、…それはよかった。今、ニールの寿命が確実に一年は縮みました」
 まだドキドキしている胸をおさえる。
 おれには奥様から直々に、坊ちゃんをずっと支えるよう頼まれているのだ。
 こんなところで離れるわけにはいかない。
「しかし私も一つ歳をとって、また一歩大人に近づいた。そろそろその、子供じみた呼び方を卒業してもいい頃だろう?」
「たしかに坊ちゃんはお利口さんで、時々大人顔負けのことを言われますが、おれにとってはいくつになっても坊ちゃんは可愛い坊ちゃんです」
 奥様がお身体が弱く、その分、乳を与える以外のこと全てをおれがお世話させていただいた。
 例え成人して、しわしわのじいさんになったとしても、坊ちゃんは坊ちゃんでしかあえりない。
「頑固だな…」
 坊ちゃんは不満そうに口を引き結んじまった。
 たしかにおれも頑固だが、坊ちゃんも同じぐらい頑固なんだ。
「では、坊ちゃんがニールより大きくなったら考えましょう」
「本当か!?」
「ええ、おれはうそは申しません」
「では指きりだ」
 突き出された小指に指を絡めると、ぶんぶんと音がするような勢いで揺さぶれられた。
「絶対だからな?」
「はい、ですから一日も早くその日がくるように、まずは朝ご飯をいっぱい食べましょうか」
「うむ、わかった」
 立ち上がった坊ちゃんをバンザイをさせて、ひざ丈のパジャマを頭から脱がせた。
 手ずからアイロンをかけ、糊のきいたシャツに袖を通させる。
「ボタンはご自分で留めますか?」
 無言で頭を横に振るので、おれが一つずつ留めていく。
「一つ大人になったとはいえ、坊ちゃんもまだまだ甘えん坊ですね」
「それは違うぞ、ニール! 私が仕事をとったらおまえが困るだろう」
「なるほど、さすが坊ちゃん。そこまで考えてくださったんですね」
 細かい細工のはいったボタンは小さくて、慣れたとはいえいつも苦労させられる。
 でも愛する坊ちゃんを美しく着飾るためだから、何の苦労もない。
 あ、もちろん、こんな服がなくても坊ちゃんはじゅうぶん男前だけどな。
 一番上まできっちりボタンを留めて顔をあげると、坊ちゃんと目があった。
 どうやらずっとおれを見ていたらしい。
「そんな風に見つめられたら、おれの顔に穴が開いてしまいますよ」
「なんと! それは困るぞニール! 極力見ないように努力するとしよう」
 慌てて両手で目隠しする坊ちゃんに、つい笑みがこぼれる。
「さ、坊ちゃん、足をあげてください」
「目隠しをしたままで片足あげは少々難しいのだが!」
「じゃあ目隠しをやめて、ニールの肩に手を置いてください」
「しかしそうするとニールの顔に穴が…」
「大丈夫です。おれは丈夫だから、短時間ならそうそう空きません」
 ズボンを履かせようとひざまずいて、おれは目を丸くした。
「坊ちゃん! また裸足で外に出ましたね?」
「ん、今日はちゃんと泥ははらったぞ」
「確かに努力のあともありますが、まだだいぶ泥が残っています」
 さっとベッドを確認すると、シーツにも枕にも点々と泥の痕跡が…。
 シーツと枕は洗うからいいが、足はこのままというわけにはいかない。
「少々おまちください」
「どこに行く?」
「お湯をもってまいります」
 坊ちゃんは靴という存在を窮屈に感じるらしく、目を離すとすぐ裸足で外に出てしまう。
 元気でいいことだが、おかげで屋敷の庭の小石拾いはおれの欠かせない日課になった。
 銀のたらいにお湯を張ったものを持って戻ると、坊ちゃんは、シャツ一枚きりの姿で所在なさげに待っていた。
「お待たせしました。寒くはないですか? ズボンは履いていただいて良かったのに」
「私は気にしないが、おまえが服に泥がついたら気にするだろう」
「それは…。お気遣いありがとうございます」
 たらいを置いて、一言断ってから坊ちゃんの両足を浸す。
「熱くはありませんか?」
「大丈夫だ。気持ちいいぞ」
 ねこのように目を細めた坊ちゃんに、おれも顔がほころぶ。
 執事たるもの主人の好む湯の温度ぐらい心得ているが、体調や外気温によっても体感温度は変わるから油断ならねぇ。
 すねまで軽く濡らしてから、素手で指の間を一本一本丁寧に洗う。
「くすぐったいぞニール」
「少々我慢ください」
  桜貝みたいな小さな爪を見ると、坊ちゃんもまだまだ子供なのだと実感する。
 おれにとっての幸せは、日々こうやって目や手で坊ちゃんの成長を感じることだ。
 両膝をついた体勢で、片足ずつバスタオルにくるんで丁寧に拭く。
 すっかりぴかぴかになった足は、床に置くと冷たいだろうからそのままおれの太ももにのせた。
「ニール、いきなりそんなところにっ」
「はい?」
 顔を上げると、頬が赤く染まった坊ちゃんと目があった。
「坊ちゃん、顔が赤いですよ。まさかお湯にのぼせましたか?」
「いやっ、気にするな」
「でも……」
「いいと言っている」
 頑なな坊ちゃんの様子が気になるものの、おれは口を閉ざした。
 紺色の長い靴下を、子供らしいすらりとした足に通す。
 あちこち傷があるのが、わんぱくな証拠だ。
「さて、お次は髪ですね」
 櫛を見せると、途端にイヤそうな顔になる。
「私は男だから必要ない」
「坊ちゃん、紳士たるもの髪にも気をつかわずにどうしますか。レディにもてませんよ」
「レディは別に。…おまえはどうだ?」
 ちらっとこちらを窺う坊ちゃんにこくりと首を傾げてみせる。
「おれですか? 坊ちゃんの髪がたとえ爆発していたとしても、もてもてに決まってます」
「本当か!?」
「ええ、でも髪を素直にとかせてくれる坊ちゃんの方が、ほんの少しだけ好きかもしれません」
「……それはより好きということだな?」
「そうなりますね」
「よし、早速髪をとけ」
「承知しました」
 金色で細くてくせのついた髪は、すぐにからまる。
 気をつけていても、櫛が引っかかって坊ちゃんをのけ反らせることが多々あったりする。
 こういうのは気のきくメイドに頼むべきかと思うが、坊ちゃんがそれを嫌がる。
 おれも坊ちゃんのまるで天使みたいなふわふわの髪に触れる機会が減ってしまうのは寂しいから、それをいいことに一人占めしてるんだが。
「はい、お待たせしました。国一番の紳士が完成しましたよ」
 一歩ひいて坊ちゃんの姿を眺める。
 つま先から頭のてっぺんまで、恐ろしいぐらい完璧だ。
 許されるなら、誰彼かまわずこちらがうちの坊ちゃんですと自慢して回りたい。
 惚れ惚れしてるおれと違って、本人は特に気にした様子もないところが、またしびれるぜ。
「では改めて、誕生日おめでとうございます」
 坊ちゃんの胸元に、朝露に濡れたバラの花を飾る。
「ありがとう。……祝福のキスはないのか」
「残念ながら、そちらは執事の範囲外です。きれいなレディ以外から贈られても微妙でしょう?」
「そんなことはない。私はニールにしてほしいぞっ」
 んっと目をつぶって待たれたら、坊ちゃんに甘いおれが断れるはずがない。
「やれやれ、しょうがない坊ちゃんですね」
 背をかがめて、まあるいほっぺたにキスを一つ。
 すべすべの肌は吸いつくようで、正直唇を離すのが惜しいぐらいだ。
「ほっぺたか…まあ今はこれぐらいでいいだろう」
「はぁ」
「さて、ニール。今日は私の誕生日だ」
「存じております」
「誕生日には、わがままも三つまでなら許されると、昔いっていたな」
「はい、五歳の誕生日の時の話ですね」
 ご両親が留守がちのせいか、聞き分けの良すぎる坊ちゃんに、誕生日ぐらいは子供らしく振る舞ってほしくて、おれが考え出した苦肉の策だ。
「私ももう大人だ。三つとはいわないから、一つわがままをきいてほしい」
「おれにできることなら何でも」
「では日頃の感謝をこめて、私はおまえの足を洗いたい」
「はっ? おれの足ですか?」
「そうだ。おまえとは長い付き合いになるが、裸足を見たことがないからな」
「え?」
「いや、何でもない。さぁ足を出せ」
「そんなこと、坊ちゃんにはさせられませんって!」
「だからこそのわがままだ。私のわがままを叶えてくれないのか?」
「う……」
 坊ちゃんに足を、なんて恐れ多い。
 でもそんな風に上目づかいで言われたら断れない。
「……今日だけですからね?」
 諦めたように言うと、坊ちゃんは何が嬉しいのか目を輝かせて頷いた。
 オレが椅子に腰掛け、坊ちゃんが腕まくりして目の前に立つ。
 いつもと丸きり逆で落ち着かない。
 もじもじするおれと違って迷いはないのか、坊ちゃんはちゅうちょなくひざまずいた。
 おれはといえば、つられて土下座したくなる気持ちを必死でおさえる。
 ズボンを膝まで捲りあげられ、靴下を容赦なく脱がされる。
 素足に手が触れた時は、無性に謝りたい気分になった。
「これがニールのくるぶしなのだな…」
 両手で動けないように掴まれて、まじまじと足を観察されて、いたたまれないことこの上ない。
 先ほどの残り湯は少し冷めていたが、足を浸すと緊張がほぐれる。
 坊ちゃんが勢いよく洗うものだから、せっかく捲りあげたズボンがじんわり濡れていく。
「気持ちいいか、ニール?」
「はい、とっても。坊ちゃんは足を洗うのがお上手ですね」
「ふ、そんなにおだてても何もでないぞ」
 その言葉の割に、髪からのぞく耳がほんのり赤くなっているのが見える。
 ごしごしと擦るやり方は正解ではないが、一生懸命な気持ちが伝わってくるから十分だ。
「きれいになったぞ、ニール」
「はい、ありがとうございます。あとは自分で」
 伸ばした手をぱしりと叩き落された。
「まだだ、靴下をはかせるところまで私がやる」
 おれがいつもしているように片足を抱えたはいいが、だいぶ足元が覚束ない。
 手伝いたいところだが、イヤがるのは目に見えているのではらはらしながら見守る。
 何とか太股におれの足をのせた坊ちゃんは、満足気にバスタオルで足を拭き始めた。
「足が赤くなっている。本当に気持ちよかったのか?」
「もちろんですよ」
 疑いを込めた眼差しに、おれは微笑んで見せた。
 だってうそは吐いてない。
「ならいいが……」
 坊ちゃんはやっと納得したのか、ぶるぶるしながらも靴下を手にとった。
 足先だけ通して、その手が止まる。
「坊ちゃん?」
「こんなにきれいなのに、靴下で隠してしまうのはもったいないな――」
 しばらくの沈黙の後に聞こえたちゅっという音と、足の甲に濡れた感触に、おれは慌てて足元を見た。
「……坊ちゃんいま何をっ?」
 そこにはおれの片足だけでふらついていたのとは別の、いっぱしの男の顔をした坊ちゃんがいた。
「今はこれが精一杯だが、来年以降に期待していただきたい!」
「ええ!?」
「そろそろ腹が減ったぞ、ニール。朝ごはんにしよう」
「か、かしこまりました!」
 どことなく怪しい雲行きに、おれは来年以降の坊ちゃんの誕生日が少しだけ怖くなった。

   

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