Ami Oda

甘い罠、優しい枷

 

かたん。
予定外の仕事を片付けて、たどり着いた自宅の玄関。無頓着に扉を開けたグラハムの視界へ飛び込んできたのは此処へいるはずのない恋人だった。
ゆるく波打つ栗毛に縁取られた明るい笑顔に、グラハムの喉が鳴る。
「なんと…ニール?どうして?」
問い質すグラハムへ悪戯っぽくウィンクを投げると、ニールは自らの腕を部屋の主の腕へ絡めた。
直に感じられる体温が疲れていたはずの心を一瞬で軽やかにしてしまう。眩しいものをみるように注がれる若草色の双眸へ照れた表情が返される。
「その…あんまり見るなよ」
「何度みても信じられん。どうしてきみがここへ?」
「悪かったな、無断侵入して。ちょっと合い鍵を借りちまった。…あんたを驚かせたくて」
そこで言葉を切り、残念そうにニールは肩を竦める。
「でもつまらないよな。びっくりすると思ったのに、何だよ。そのクールな表情!」
「いや、とても驚いた!驚きが喜びを凌駕してしまっただけだよ。何しろ姫と次に会えるのは遠い時間の果てだと思っていた」
「予定は未定ってヤツだよ。ひとつ予定が潰れて…時間ができたから」
「それでわざわざ私のもとへ来てくれた?嬉しいな。姫に時間を与えてくれたその運命へ心からの感謝を捧げよう」
「んな大袈裟な…あ、ちょっと、こらッ」
「愛している、わが姫!」
熱の籠もった声に続いて熱いキスの雨が降ってくる。最初は避けようとしたニールは、なにか思い出したように動きを止めた。そして自由の利く腕を持ち上げ、グラハムの顎へ指先を引っ掛ける。
「本当に…仕方ねえなぁ」
そっと瞳を細める恋人から仕掛けられたのはスタンプキスひとつ。
「いい加減、落ち着けって。キスの雨でオレを溶かすつもりか?」
「ん?きみはキスで溶けてしまうのか?だが…それも良いな。姫が溶けてわたしと混じり合えば、二度と離れないで済む。永遠に抱きしめていられるぞ!」
色鮮やかなエメラルドを輝かせ、うっとりしているグラハムへ呆れ声が浴びせられた。
「いいのか?身体がひとつだと、もうキスはできなくなるけど?」
「む…それは困る。困るぞ」
「そう望んだのはあんただろ?」
「キスだけでなく、抱きしめられなくなるのも困る。そして、もっと素晴らしいことも出来なくなるではないか。うむ。やはり互いの身体は必要だとでいうことか」
一人で納得し、自己完結している男へ頬を羞恥に染めたニールが睨みつける。
「素晴らしいって…ナンだよ」
「熱く柔らかなきみのナカへこの身を沈め、ひとつになるあの瞬間…ッ。こら。ニール!なにをするのだ」
びたん。と平手打ちしたニールは真っ赤になって叫んだ。
「だぁぁっ!黙れ、少し口を閉じてろ、あんたは!」
「照れなくてもいい。偽りなき真実であろう?」
「ん?……………………いま、なんか言いやがったかな?」
口調はおっとりしたものだったが、視線に無数の棘がある。これ以上はマズい、と判断したグラハムは降参を示すように両手を掲げた。
「了解した。きみに従おう、姫」
その発言を最後として沈黙を守る前、不埒な唇はニールからキスを掠め取っていった。
「もう満足したか?したよな?なら、玄関から移動しようぜ?」
なあ。と腕へ押し付けられた体温に誘われ、グラハムは前へ足を踏み出した。 

 

リビングへ踏み込んですぐニールの定位置であるソファへ追いやられたグラハムの前に、ブルーのティカップが突き出される。
「ニール?」
「これ、疲れが取れるハーブティなんだ。…少し冷めちまったけど飲んでくれるか?」
ひどく健気な言葉に、グラハムの胸は大いに揺さぶられた。
「当然だ、感謝する!」
こみ上げる思いの熱さを伝えるべく抱き締めようとしたのに、愛しき恋人は器用に腕からすり抜けていった。
「なぜだ。どうして逃げるのだ。寂しいぞ、ニール!」
「お茶、さ。温いを通り越して冷たくなったら美味しくないぜ?」
どうぞ。と改めて差し出されたカップを素直に受け取る。
「その心使い、感謝する」
「ちゃーんと効くといいな」
「その心だけで、どんな効能の薬よりわが体は回復するぞ!」
「……さっさとその口閉じろって」
珊瑚色に染まる目尻を間近で見せつけられてグラハムは咄嗟に奥歯を噛み締めた。そうでもしないと、自分がなにをしでかすか分からなかったからだ。
目の前にいる可愛い生き物は…この身体を流れる血液を沸騰させるつもりだろうか?
「飲まないなら、もう下げちまうぜ?」
にこっと笑われたとき、ふとグラハムのなかで違和感が弾けた。
そういえば、さっきからニールが目を合わせてこない。マリングリーンの瞳は、不自然なまでに一点へ集中したままだ。
おかしい。
怪しげな中身が注がれたカップを口元へ運ぶ手がホンの一瞬、目立たない程度に揺れる。器の中で揺れる琥珀へ瞳を向け、なんとなく考え込んでしまった。
しかし、そんな迷いも一瞬でけりがつく。
どんな悪戯を企んでいるのか気になるが、心から愛する人が何かを企んでいるのなら、敢えてそれを受け入れてやりたい。
立ち昇る湯気を嗅ぎ、そのまま陶器へ唇を寄せた。
「不思議な香りだな」
「そうか?」
「他ならぬ姫のお勧めだ。喜んで頂くとしよう」
潔くカップへ口をつけると、またニールの表情が変化する。振り子のように不安と期待を行ったり来たりするニールへ微笑みかけ、当然のようにグラハムはカップを干した。
ぱちり、とニールが瞳を瞬かせる。
「一気…?あ、熱くなかったのか?」
「特には。それにゆっくり味わうものではないだろう?」
「…あんた、もしかして分かって…」
「なんのことかな?」
真夏日の空のように曇りのない澄んだ緑柱石を向けられ、ニールは苦笑してしまう。
「馬鹿だな、あんた」
「姫のためなら、なんでも出来るな。わたしは!!」
「信じてくれてありがとう。で、…ごめんな」
そっと押し当てられた唇の感触が遠い。急速に重くなった我が身を持て余し、グラハムは大きく息をついた。ソファへ座るよう指示されたのはこの為だったらしい。自力で支えられなくなった背もたれへ預けるのと、カップが手の中から逃亡してゆくのはほぼ同時だった。実際に見て確認は出来なかったが、破壊音が聞こえなかったから床へ転がった陶器は割れずに済んだのだろう。
視界へ展開したグレーのスクリーンは、みるみるその色を濃くしていった。ちょっと顔を動かせば触れられる位置にあるニールがどんな表情をしているのか、今はもうそれも判別できない。
顔が見えなくて寂しいから抱き寄せようとしたが、指先すら持ち上がらない。
だから、口を開いた。
「姫」
「ん?なんだ?」
どうにか声は出た。だが唇を動かすのも億劫だったから、伝えたい言葉だけ音と為す。
「愛している、きみだけだ…我が愛しき姫」
「ばぁか」
クスリと笑ったニールが閉じた目蓋へ唇を押し付けてくる。
キスされているのか、舌先で舐められているのか…それすら分からないが、顔を擽る湿ったものを感じる。
「んとう、だ…………あいし…」
「知ってる。いいから…黙れって…」
低めの甘ったるい声に誘導されるまま、グラハムはあっという間に眠りの闇へ沈み込んでいった。

 

―――――――――ぴちゃ。ぴちゃ…
 
「…ん?」
すぐ近くで生じる微かな水音が鼓膜を擽った。やけにみだらな音が響くたび、腰へ熱が溜まる気がする。
なにが起こっているのだろう?
目の前はまだ暗い。でも見えなくても愛しきひとの気配は確かに感じられる。
「ニール?」
「お。意識が戻ったのか?」
呼びかければ、すぐ応えが返る。
「これは…一体」
「あんた、軍人なのにクスリに耐性ないんだな。少し馴らしておいた方がいいんじゃないか?いざって時、困るのは自分だぞ」」
またぴちゃり。と音が響く。さっきより顔に近い位置だ。
気合いで目蓋をこじ開けたのに、依然として視界は閉ざされたままなにも見えてこない。
「なにが…?」
せめて身を捩ろうとしたが、身体の自由が利かない。今頃になって、腕が頭の上へ釣り上げられているのを自覚する。無闇に腕を動かしてみれば、ガチャガチャと耳障りな金属音が弾ける。
ひどく不愉快になった。自由を奪われるのは大嫌いだ。その気持ちが口調へ表れてしまう。
「なんだ、これは」
「怒るなよ。あんたに本気で暴れられたらオレじゃ負けるだろ、多分。だから小道具を使ってみた」
少しずつ身体へ力が戻ってきたので改めて腕を大きく動かす。しかし、鈍い金属が耳障りに響くばかりで自由は戻らない。
「こら。あんまり動くな。一応、包帯巻いて手首はガードしたけど、暴れたら傷がついちまう」
それに対して返答しないまま、諦めることなく腕を動かし続けているグラハムの耳へニールはやんわりと歯を立ててくる。
「いくらあんたでも素手で金属の手錠は壊せない。諦めろ」            
尚も自らを戒める金属を動かしていたグラハムが、やがてほそく嘆息した。
「手錠で拘束、目には目隠しか。きみは何をやりたいのだ?」
「実はオレ、グラハムを誘拐したんだぜ」
「誘拐だと?」
「そ。だから、もう抵抗しないでくれよな」
「そのようなことをせずとも、きみに誘われたら何処までも共に行くぞ、わたしは!」
「オレは誰も知らない場所へあんたを閉じ込めて、いっぱい悪戯してみたかったんだ。…なあ、いいだろ?」
「良いも悪いも…誘拐犯への抵抗はわたしに認められているのか?」
「認めねえ。当たり前だろ?」
「…そうか。ならば言っても無駄だろう」
「その代わりリクエストは受け付けるからな?どんどん言えよ」
「リクエスト?」
意外な単語に、巻きつけられた布の中でグラハムは目を見張った。
「今日はあんたの誕生日だろ?生まれてきてくれて、ありがとう…ってことで」
チュッと額へ愛情を込めたキスを落とすと、ニールは言葉を継いだ。
「だから、あんたの希望を叶えてみようかな、と」
不意に体温が遠くなる。どこかへいってしまうのか、と少し寂しさを覚えてしまう。
「ニール?」
「気にしなさんな。傍にいる。すぐに行くよ」
ひどく楽しげな声のあと、ギシリ、とベッドが鳴った。ベッドベッドへ手錠で固定されている自分へもぞもぞと接近してくる気配。
「えい、っと」
弾む声と一緒に腹へ重みが加わる。胴体を跨いで、直接腹へ座り込まれたらしい。
腰を挟む張りのある太ももの柔らかさ。身体を支えるためか、肋骨の辺りへ張り付いている手のひらから伝わる体温。
どくん。と心臓が拍動を強める。全身を巡る血流が速度を上げたような錯覚を覚えてしまう。
なにしろ久しぶりの再会なのだ。
姿を見るどころか声も聞けず、体温も感じられなかったニールの重みを、いま確かに受け止めている。
「たまらん」
「は?まだ何もしてないぜ?」
「きみに触れられるだけで、この気持ちは滾るのだ!だからこそ…この仕打ちを認められない。この拘束からわたしを解き放ってくれ!」
「駄目だな」
「リクエストを受け付ける、と言っていただろう。この目できみを見て、この指で触れさせてほしい」
「そいつはだめ」
「それ以外、望みなどない!」
「イイコだから落ち着いてくれよ。今日はあんたの誕生日でサービスデーなんだぜ。
見れないあんたの代わりにオレが見てやる。触れないあんたの代わりにオレが撫でてやる。たくさん舐めてキスして、抱きしめてあげるよ?」
「嬉しくないぞ、ニール」
「誕生日の贈り物にオレ、は余りにも陳腐だろ。少し、変化をつけたいから意地悪のスパイスを効かせ、てやる。ン……っ。たっぷりサービスする、から堪能してくれ、な?」
「ニール。きみ…は」
はっと気がつく。
途切れがちな言葉を綴る声が荒い。自分の身体を舐めているだけでニールが興奮気味になっているのだと理解した瞬間、グラハムは我が身へ欲望が満ち溢れてゆくのを感じられた。下肢の中心で素直に欲を主張するものに気づいたらしく、腹に跨がるニールが後ろへ手を伸ばしてきた。
「ほーら、グラハム、あんた。もう興奮しちまってるぜ?」
くすくす笑いながらニールは掴み取った熱塊をそのかたちに沿ってなぞりあげる。
「わかるか?こうするだけで、どんどん大きくなっていく」
「………手を動かすなッ」
「え?気持ちいいだろ?ただ撫でるだけで満足するのか?擦ったり舐めたりすれば、もっとイイ気持ちになるぜ?」
「………認めよう。確かに今のわたしは欲情している。だが…興奮しているのは、わたしだけなのかな?」
「は?」
「隠し切れてないぞ、ニール!」
いきなり腹筋だけで腰を持ち上げれば、グラハムの目論み通り自分以外の熱が腹を掠める。鋭く呼吸を詰まらせたニールの体温が僅かに高くなった。
「ンっ!」
「きみも、こんなに熱い」
欲情した部分を思い知らせるように繰り返し腰を揺らすと、あまったるい悲鳴が上がる。
「っ……オレが…気持ち快くしてやりたい、のにっ」
「わたしはニールと一緒に気持ち良くなりたい」
「や、だめ…だって、グラハ…」
赤みを濃くした唇から滴り落ちる喘ぎがあまく、高くなる。その声とこれまでの経験を重ね合わせたグラハムが舌なめずりした。
この目が見えていたなら、ニールの白い喉へ食らいつきたい。そんな獰猛な捕食本能が腹の中で膨れ上がってゆく。
「こんなにも熱くなったのだ。もう胸も尖っているだろう?ジンジン痺れてツライのではないか?ほら、自分で触って確かめてみたまえ」
「触る、のは…グラハムの」
「わたしの代わりに見て、わたしの代わりに触れてくれるのだろう?その、真っ赤に実った乳首をつまみ上げてみたまえ。気持ちいいぞ。そして、とびきりイイ声を聞かせてくれ」
「ん、ひゃ………あっ…」
「摘むだけでなく、つよく捻るんだ。今のように片方だけでなく、左右同時に」
「あ…っ、どうし、て片方だけって…」
はやく乱れた呼吸で言葉を紡ぐニールの身体がゆらゆら揺れ動いている。その危ういバランスを崩すべく、グラハムは大きく腰を突き上げた。
「ニールのことなら、何でもわかる、とも!」
「ああぁっ」
促されるまま自らの胸を弄っていたニールは呆気なく体勢を崩し、グラハムの胸へ倒れ込んできた。剥き出しの肌で感じるニールの頬が燃えるように熱い。
「ひどい、ぞ」
「今のわたしがきみに触れるにはこんな手段を使うしかないからな」
「ん、ホントはあんたをしゃぶってやろうと思ってたのに…」
「やってくれないのか?サービスデーなのだろう?」
「くそっ…あんたなんか、これで充分っ」
かぷっ。と肩口へ歯形をたてると、そのままニールは尖らせた舌先で胸を舐めまわし始めた。ニールの身体がぴったり覆い被さっているせいで、自然に熱くなっているふたつの屹立が擦れ合ってしまう。
どちらの身体が吐き出したのか分からない透明な蜜が色合いの異なる下生えを濡らし、どんどん滑りをよくしてゆく。
「あっ、ああっ、つ…ぅ」
グラハムを舐めるのも忘れがちになって、熱心にふたつの性器を擦り合わせるニールが欲望に溺れきっているのは艶やかな喘ぎを聞くだけでも分かった。もう少しだ。とグラハムは思う。

それからすぐに待っていた瞬間が訪れた。

「や、も…やぁぁ」
自分で仕掛けた罠へ自ら踏み込み、曖昧な刺激だけでイッてしまった獲物を前にして視界を封じられたままのグラハムが勝利を確信した笑みを浮かべる。
「この目隠しを外してくれ、ニール」
指示されると、思い出したように子猫のように肌へ滲む汗を舐めとっていた舌が固まった。
「顔を見てキスをしたい」
「キス?」
「キスもしたいな。だが、それよりもっと気持ちよいことも、だ」
「………ん」
ぱく。と頭に巻きついていた布をくわえたニールがゆっくりと目隠しを下へ動かしてゆく。
じれったい速度で眼もとから布が取り払われ、視界が蘇った。
やっと目にできたニールの双眸は欲望に濡れ、とろけそうな表情となっていた。
「こんなにも欲しがっていたのはわたしだけでない。それが分かったことが一番の贈り物だ」
太陽のように輝く笑顔を眩しげに見詰めたニールがあどけない笑みを口元へ湛える。
「うん。オレもあんたが大好きだよ、グラハム」

 
    

 

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