Fu-no

 Are you happy?

 

   玄関の扉を開けたらドアの前に花束が置いてあった。真っ赤な大輪の薔薇をたっぷり百本程も束ねてある立派な花束だ。そういえば、誕生日だ。最愛の人に祝われない誕生日など、覚えているだけ虚しい。
「これは……」
眩しい朝日に目を細め、腰を屈めて花束を抱き上げる。太陽の光を十分に浴びて育ったのだろう、深緑の葉に包まれるように息づく薔薇の花々は蕾から適度に開き掛けている。ビロードの花弁に隠れるようにして、ベージュのカードが一枚、あった。手のひらにおさまる大きさで金色の縁取りがされた小さなカードには、青い色のインクで一言書いてあるきりだ。『Happy Birthday!』。差出人の氏名も何もない。それが何よりのサインだ。
 ニール。ニールが来て、置いていったのだ。
「ニール!」
まだ近くにいるかもしれない。辺り構わず大声を上げて、花束を持ったまま駆け出した。門を出て、左右を見る。当然、夢にまで見るその姿はなかった。
 彼は、いつも痕跡を残さずに去っていく。この間も、ふらりと現れてふらりと去っていった。『Thanks!』。それだけ書かれた置き手紙が一枚あって、ニールはいなくなっていた。それ以外にはなに一つ、残っていなかった。二人で使っていた狭いベッドのシーツは洗濯されて綺麗なものに取り換えられていた。使った食器は曇り一つなく洗われ磨かれ、床は掃除されて、スリッパは玄関に揃えられていた。
連絡先も知らないから、ニールの方から来てくれるのをただ待つしか、会う方法がない。
 ひょっとしたら、近くに、まだ。
 望みを捨て切れず、グラハムは端末を手に取った。登録してある軍の番号に掛ける。今日は特別な行事があるわけではないから、多少の無理はきく。半ば強引に今日一日の休日をもぎ取り、文句を流して聞きながら終わる前に端末を切った。
 豪奢な包装を今すぐに解く気にならず、潰さないように気を付けて軽く抱きしめてからソファにそっと置いた。萎れてしまっては勿体ないが、もうしばらくは大丈夫だろう。
 さて、どうするか。
花束だけ置いて去ったということは、ここには来ないつもりだろう。ではどこを探しに行くか。とりあえず端末で地図を開く。
ニールと散歩をした公園。ベンチに二人並んで座っていたら、本を読んでいたはずのニールはいつの間にか寝ていて、肩に頭を預けてきた。食事をしたカフェ。アイスカフェオレにガムシロップを三つ入れたら呆れられた。その他にも、ニールと過ごした場所はたくさんある。だが、そのどこよりも、この家。
ただいまとおかえりが嬉しいと言ったら、俺もだと言って彼は花のように笑った。グラハムにとって我が家と呼びがたかった冷たいこの家があたたかくなったのはニールのおかげだった。ニールにとっても同じであったと信じたい。
だから、待つことにした。
 冷蔵庫を開けて、じゃがいもを見つけた。とりあえず茹でて潰してマッシュポテトに。上手くいけばニールとのランチを楽しめるかもしれない。待つことには慣れている。いつでもニールを待っている。
 ニールがいない間に積もってしまった埃の酷さに唖然として、慌てて掃除機だけ掛ける。もう正午だ。いつニールが来てもおかしくない。掃除が終わって料理が出来て、重なった長針と短針が生き別れになった。もう一時になる。薔薇も流石に限界だろう。花束を持ち上げて腕に抱く。リボンを解こうと指を掛けた時、チャイムが鳴った。駆けた。花束を下ろす時間も惜しい。抱いたまま玄関に走る。
 ドアを開けて、相手を確認もせずに飛び付いた。
「ニール!」
花が潰れそうになって慌てて右手で高く持ち上げて、左腕で意中の人を抱き締める。
「わっ、花……ッ!」
「平気だ、姫。姫と思って可愛がっていたこの花を、私が傷つけるわけないだろう?」
待ち望んだ頬に、頬ずりをした。やわらかい懐かしい感触。
「で、プレゼントはないのかね?」
ゆっくりと離れて、ニールを玄関の中に誘導する。
「もうあげただろ」
「これだけ私を待たせておいて、これだけか?」
少しの我儘くらい許されたって良い。
「……サプライズってことで許してくれよ?」
ドアが閉まって外界から隔たれたと同時にちゅ、と軽い音。額に落とされた唇の温度さえあれば他には何もいらない。

         

 

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