Hijiri Takanomiya

祝福の定義 


 はじめからどうにもおかしい話だと思っていた。
 元から強引なところがある男ではあったが、それでもロックオンが連絡をもらったそのときに、あまりその日は都合がよろしくないと態度で示していたにも関わらず、強引に予定を割り込ませてきた。
 そこまでするなんていったいなにかと思ったが、グラハムは、一応恋人と呼んでもいいかも知れない関係の相手は、当日予約してある、とレストランに連れてきただけだった。
 そうして、グラハムはメニューも特別なものを予約してある、と食べるものすら選ばせなかった。ロックオンが手持ちぶたさを意識しながら、運ばれてきた食前酒を舐めていると、グラハムはひとつのつつみをそっと差し出してきた。
 一瞬、三ヶ月分の給料で買ったんだ、などというようなコメント付きできらめく石がついたわっかが出てくるのではないかと身構えたが、そのようなことは当たり前のようになかった。その代わりに出てきたのはロックオンが前々から探していた希少な絶版本だった。なにが出てこようと受け取るつもりなどなかったというのに、中身がわかった瞬間に思わず反射的に手を伸ばして受け取ってしまい、だがしかしそれを即座にロックオンは後悔した。しかしグラハムはなにを気にした様子もなく、品を受け取った恋人を見つめながら嬉しそうに笑っている。
 その余裕がある様に軽く苛立ちを覚えながら、出てきた料理を一応テーブルマナーに従いながらも親の仇のように貪っていると、それが思っていたよりも更に美味しかったためにだんだん気分が解れてくる。料理とともに継ぎ足されるワインも口当たりが良いのと同時に、料理の味を相乗させてくれるような素晴らしいものだった。
 美味しい料理と、美味しいお酒、その前には気分を張りつめさせておくのはどうにも難しかった。思い切り寄せていた眉間の皺もだんだんと解れ、軽く回ってきたアルコール分でロックオンの気分も良くなってくる。だがメインまで終わり、デザートが運ばれてきたときにまたぐぐぐとロックオンの眉間に深い皺が刻まれた。
 ケーキには、ハッピーバースディグラハムと書かれ、幾本もの蝋燭が突き刺してあった。
「こちらは、お電話でも説明させていただいたバースディケーキでございます」
 ウェイターはよく訓練され、教育されているのだろう。計算し尽くされているだろうしなやかに滑らかな所作で丸いワンホールのケーキをテーブルの上に設置すると、柔らかく瞳と頬だけを和ませながらグラハムに話しかける。
「ふむ。サービスと言うからお願いしてみたが、思ったよりも大きいのだな。これではふたりでは食べきれん」
 少しばかり困ったように、グラハムが指を伸ばし、頬を掻く。
「余った場合は持ち帰りも可能ですし、残りを周囲のお客様に祝いのお裾分けとしてこちらでサーブさせていただくのも可能です」
 ウェイターは笑みを崩さぬままに、さりげなくグラハムへと提案してくる。
「ほう、そのようなこともできるのか。それでは私と、彼の分を取った後、残りは周囲の方にお出しして欲しい」
「かしこまりました。――それでは」
 ウェイターは芝居かかっているほどに深々と一礼すると、周囲へと挨拶した後にケーキの蝋燭に火を灯し、バースディソングを歌い始めた。すると周囲の客の幾人かもウェイターに合わせて歌い始める。
「ハッピーバースディ、ミスターエーカー」
 そして歌が終わるのと同時にグラハムは灯されていた蝋燭を吹き消し、ウェイターを始めとした周囲の客までもが祝福の拍手を送る。ロックオンも合わせるように拍手を送る。しかしその顔にはどこか不満げな表情が浮かんでいた。
 切り分けられたケーキはシンプルで優しい味で美味しく、相伴することになった周囲の客からも嬉しそうな声が挙がっていた。だがそれでもロックオンの眉間に刻まれた皺は消えなかった。
 そのままの状態でレストランから出て、タクシーを拾う。乗り込んだところでグラハムはこのレストランから車で軽く三十分以上はかかるロックオンの仮住まいの住所を告げた。どうやら先に送り届けた後に帰る予定らしい。しかしタクシーが発進して数分たっても不機嫌そうに黙り込んだままのロックオンについにグラハムが気遣わしげに声をかけてきた。
「ロックオン……なにか、今日はそんなに君の気に食わないことがあっただろうか?」
 いつも無駄に自信に溢れ、堂々としたグラハムには似合わないほどの弱々しげな声だった。
「――ぶっちゃけ全部」
 すぐかたわらに座っているグラハムへと顔を向けずに短く吐き捨てる。すると、戸惑ったようにひとつ息を呑む音が隣から聞こえてきた。
「料理などが口に合わなかったのだろうか? 私の趣味であそこの店を決めてしまったのだが……」
「いや、料理は旨かった。旨すぎるほどに旨かった」
「じゃあ酒が……」
「酒も旨かった」
「では、今日私が君へ渡したプレゼントが……」
「考える前に手が出て反射的に受け取っちまったくらいに欲しかったものだった」
 グラハムが問いかけてくる言葉に、即座に答えを返す。するとグラハムはついに困りきってしまったかのように、ぽつりと呟いてきた。
「――では、一体なにが……」
 そこでロックオンは初めて自らの顔を横に、グラハムの方へと向けた。すると思った通り彼は困惑したようにその整った形の眉をひそめ、薄いくちびるを引き締めていた。元々秀麗な顔立ちの男は、そのような表情をしていても美しく魅力的で、ロックオンはついうっかりと見とれそうになる。だが、そんな自身のこころを叱咤しながら必死に冷たい声音を作りながら言葉を投げかける。
「――マジでわかんねえわけ?」
「……正直、わからん……」
 心底途方に暮れた、というように囁くように呟いてくるグラハムに向けて、ロックオンは思わず大きくこれ見よがしの溜息を吐いた。すると驚いたように小さくグラハムの肩が震える。その様子にロックオンはまたひとつ吐息をこぼす。
「なあ、なんで今日ウェイターがケーキ出してきて歌ったわけ?」
「それは今日が私の誕生日だからだ」
 ようやくというように自信満々に胸を張りながら答えてくるグラハムを見つめながら、ロックオンはそうだよなそうだよな、とうんうんと頷く。
「――でもさあ、おれ、ウェイター出てくるまでそのこと知らなかったんだよね」
「……その事になにか問題があるだろうか……」
 ぽつりと言葉を吐き出す。だがグラハムは相変わらず理解できないというような表情をしている。そのことに再び小さく溜息をこぼしながらも何気なくちらりとバックミラーを見ると、こちらをひっそりと伺っていたらしいタクシーの運転手と目が合う。なにやら彼はそりゃないわ、というように驚いた表情で軽く口を開けていた。
 タクシーの運ちゃんですら理解してるのになあ、と、止まらない溜息をこぼしながら、言葉を紡ぎ始める。
「誕生日にレストランで食事をするのはいいさ、ケーキを食べるのもいいさ、でもなんで普通に祝われる方だけがそのこと知っていて、普通なら祝う方のおれがそのこと知らなくて、しかもあんたにプレゼントまで貰ってんだよ。あべこべじゃねえかっ!」
 最後の方はついつい息が荒くなってしまって、叫ぶようになってしまった。ロックオンの語調に驚いたようにグラハムがまた身体を揺らした。そのさまに何となく苛立ちを覚えながらも口をつぐむと、グラハムが困ったように身体を揺らし始めた。そしてしばらくした後にロックオンを見つめながら観念したように口を開いてきた。
「……――私の、誕生日だからこそ、普段よりも少しばかりわがままに、したいことをしてみたのだが……」
「はぁ?」
「あまり都合が良くはないようだったが、君と過ごしたかったから、無理矢理のように呼びだした。それでも君は来てくれた。私はとても嬉しかった」
 ぽつりぽつりと吐き出してくるグラハムの言葉に、ロックオンは一応おれの都合が悪いことは気づいていたのか、と少しばかり論点からずれた場所でついつい感心してしまう。
「私がこれは君も好きだろうと思って予約しておいた料理も美味しそうに食べてくれたし、君が前々から探していた本をプレゼントしたら、本当に嬉しそうに受け取ってくれた。君のそんな様子を見て私は本当に嬉しかったし、楽しかった。だから、それで、なんというか私はかなり満足だったのだが……」
「っ、だからって、あんたがそれで楽しかったからって、なんかそれって違うだろっ?」
 伏し目がちに呟きながらも、それでもちらりちらりとこちらを伺ってくるグラハムに、ロックオンはまた声を荒げてしまう。
「――なにが違う?」
「なにがって、普通誕生日は自分がこの世に生まれてきた事を祝って貰うもんだろ。たとえ自分が楽しいからって、誕生日な事を黙ってて祝ってもらわないって変じゃねぇか」
 そう主張した瞬間、不意にすうとグラハムが顔を上げた。そしてロックオンと視線を合わせたかと思うとゆっくりとくちびるの両端だけを持ち上げ、笑みの形にした。だがしかし、その瞳はかけらも笑っていなかった。
「――別に私は、私の誕生日を誰かに積極的に祝ってもらおうとは思わんよ」
 笑みのように見せかけてはいるものの、笑みではないどこか冷たく冷めた表情。そしてその表情のままのどこか冷たい声音でグラハムはそう言い切った。
「――君には前言ったことがある気がするが、私は孤児だ」
「ああ、聞いたことがある。それが?」
「君も孤児だという事だが、幼い頃に両親を失った君と私はそれでもやはり違う」
「……なにがちがうってんだよ……」
 グラハムの様子は、まるで薄く冷たい氷を全身に纏ってしまったかのように堅く、冷たかった。彼のそのような様子をほとんど見たことがなかったロックオンは、ただ呑まれたように彼を見つめることしかできなかった。
「私は、捨て子だ。まだ乳飲み子だったとき、孤児院の前に捨てられていたそうだ」
 初めて聞いたその言葉に息を呑む。しかしグラハムはロックオンの様子は気にかけることなく、どこか自嘲するような笑みを口元に浮かべたかと思うと、そのまま続けてきた。
「――はたして、そのような子どもの正確な誕生日がわかるものだろうか?」
「……え?」
 どこか芝居かかった様子で腕を持ち上げ肩をすくめたグラハムをロックオンはただ呆然としたように見つめる。するとグラハムは暗い光を瞳にたたえながら、それでもロックオンを真っ直ぐに見つめてきた。
「私の誕生日となっているものは、正確なものではなく、あくまでも戸籍取得の際に便宜上定められた日にすぎない。さらについでに言えばそれは私が孤児院の前に捨てられていた日のことだ」
 もはや吐息すら漏らせずに固まってしまったロックオンと視線を絡めながらグラハムはとうとうと続けていく。
「――そのことを初めて知ったときはまだ幼かった私は荒れた。そんな私に通っていた教会の牧師様は、孤児院に来たその日に、私はそれまでの私とは違う新たなる存在に生まれ変わったのだから、この日が誕生日だということは間違っていないと仰ってくださった。その言葉に多少の救いを見出したが、やはり、私の誕生日は実の親にお前はいらない存在だと捨て去られた日である事実は変わらない」
 一気に言い切ると、グラハムはふう、とひとつ息を吐いた。
「――誕生日が本来喜ばしいもので、祝われるべきだということはわかる。例えば君の誕生日であれば私は諸手をあげて祝いたい。だが、しかし……私の誕生日をわざわざ祝って欲しいとは思わない。今日はあのレストランで思ったより大げさに祝われてしまって少し困ってしまった」
 好意だということはわかっていたのだが、と呟きながらグラハムは苦笑する。その表情にロックオンはなにやら胸が詰まってしまう。先ほどとは別の意味で眉間に皺が寄ってしまう。
「そんでも、やっぱり、誕生日を黙られてて、おれだけがプレゼントを貰うのは納得できねぇよ」
 グラハムが自分の誕生日を祝って欲しくないという理由は十分すぎるほど理解できた。確かにそのような理由があれば素直に祝ってもらうのは複雑な気分になるかもしれなかった。だがそれでも、それとこれとは別だという考えもロックオンの中にもある。
 なによりどうにもすっきりしない。
「とりあえず、あんたが楽しくてもおれだけがいろいろ貰うのはなんつーか困るんだよ。だから祝ってやっから、おれができそうなことで、なんでもいいからあんたの望みを言えっ!」
 ほとんど自棄っぱちになりながら言葉を投げつけるとグラハムが途方に暮れたような表情を浮かべてしまった。
「なんでも……」
「そう、なんでもだ。ほら、ご奉仕でもなんでもしてやっからさっさと言え。ほら、ほら」
「奉仕……」
 自棄になったままで手を振りながら言っていると、不意にグラハムが暗がりでもわかるほどに一気に頬を染めた。
「ミスター、申し訳ないが行く先を変更してもらえないだろうか」
 その表情の変化に嫌な予感を抱き、ロックオンが反射的に少し身体を仰け反らせたその次の瞬間にグラハムは素早く無言でハンドルを握っていた運転手に声をかける。新たに指示した行く先はグラハムが住んでいる軍舎の住所だった。軍舎と言っても、寮ではなく士官用に割り振られている一軒家であるのだが。
「ちょっ、ちょっ、グラハムっ」
 どうにも嫌な予感しかしなかった。背中には冷たい汗が幾筋も流れていく。
「なんでもしてくれるのだろう?」
 焦るロックオンとは裏腹に、グラハムは先ほどの暗い表情はどこへやら、うら若い少女のように頬を染めながら楽しそうに微笑んでいる。暗い顔よりかは遙かに喜ばしくはあるのだが、その表情は魅力的ではあるのだが。だがしかし。
「……それとも、やはり駄目なのだろうか……?」
 グラハムは残念そうに、寂しそうにそっと目を伏せて、その長いまつげを小刻みに震わせた。かと思うとそろそろと瞼を上げてロックオンを上目遣いに見つめてきた。まるで、捨てられそうな子犬のように心細そうに。
「ああもうっ、わかったよ。わかったからそんな目でみんなっ」
 ロックオンは、これは口が滑ってしまったのだろうか、だがしかし、などと思いつつ諦めた。ため息をつきながら頷く。するとグラハムは花がほころぶように本当に嬉しそうに微笑んだ。それをみて、まあ、いいか、とまたひとつ息を吐く。とりあえず、あんな暗い表情を見ているよりかはずっと良かった。
 この後自身がどうなるのかはどうにも怖くてたまらなくはあるのだが。
 全身の力を抜いて車のシートに身体を預けながら、肺の中の空気をすべて吐き出すように長く息を吐く。そして不意にバックミラーに視線を向けると、ミラー越しにこちらを見つめていた運転手と視線があった。
 運転手はいたずらっぽい笑みを乗せながらロックオンにひとつウインクをしてきた。その激励であろう表情に、苦笑で返すと、ロックオンはすべてを観念したように、瞳を閉じた。
         

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